※受賞者・ご来賓の所属・役職・プロフィール内容は受賞当時のものです。
2022年本田賞 業績解説
計測の基盤は「秒」と「周波数」
科学技術の発展に大きく寄与してきたのが計測技術です。フランス革命後に「メートル法」によって定められたメートル(距離)、キログラム(重さ)、秒(時間)にはじまる世界共通の単位は、現在は国際単位系(SI)として国際度量衡総会が定義を定めています。元々はメートルにもキログラムにも基準となる人工物の「原器」があり、秒も地球の公転や自転から導き出されたものでした。しかし科学の進歩とともにより精密な計測が求められるようになり、2018年にSI基本単位の定義は誤差を生み出しやすい原器を廃し、全てが物理量や物理定数に基づくものになったのです。たとえば現在距離の単位・メートルは真空中の光の速さを299 792 458 m/sと定めることによって定義されています。このように距離や電流など精密計測の基盤となっているのが時間(秒)と、秒と表裏一体の関係にある周波数なのです。
時間は周期現象の繰り返しの数を数えることで求められます。わかりやすいのが、振り子の周期で時を刻むアンティークな振り子時計でしょう。ただし周期がずれると時間も狂うので、正確な時計には正確な周期現象が必要です。クオーツ時計は電気を加えた水晶の振動周期を利用し、最高級のものでは10桁の相対精度(100年に1秒程度のずれ)です。現在の秒はセシウム原子の共鳴周波数(その周波数ぴったりのマイクロ波を浴びたときだけ、わずかにエネルギー状態が高くなる「励起」現象が見られる)を基準としています。セシウム原子の励起を起こすマイクロ波が9,192,631,770回振動する時間を1秒と定義するのです。現在最も高精度なセシウム原子時計は、約15桁半の相対精度(6000万年に1秒程度のずれ)です。
300億年ずれない時計の実現
さらに超精密に秒を測る時計として考え出されたのが、今回の受賞対象となった光格子時計です。原子に固有の振動を使うところは同じですが、固有振動を変えないままに原子を静止させてドップラー効果の影響を排除したことで、18桁つまり300億年に1秒ずれるかどうかという高い精度が可能になりました。宇宙が誕生してから今までが約138億年と言われていますから、とんでもない精度であることがわかります。
原子を静止させるためには、まずレーザー冷却で原子を絶対零度近くまで冷やし、さらに「魔法波長」と呼ばれる特別な波長の光でつくった格子状の入れ物(光格子)におよそ100万個の原子をトラップします。光格子時計の登場までは、次世代の時計はひとつのイオンをトラップしてその振動を数える「単一イオン光時計」が有力視されていました。光格子時計のトラップはイオントラップに似ていますが、単一イオンで18桁の精度を目指した計測を行うにはおよそ1秒かかる測定を100万回繰り返す必要があります。これには、100万秒、つまり10日程度の日数が必要になるという難点がありました。光格子でいっぺんに100万個をトラップして計測すれば、計測時間を大幅に短縮できます。
超高精度計測が実現すること
この超精密光格子時計を用いると、アインシュタインの相対性理論に示されている「重力や運動の影響を受けて時間の進み方は異なる」ありさまを実測できるようになりました。18桁の相対精度があれば、時計の高さが 1cm違うだけで時間の進み方の違いが見えるのです。スカイツリーでの実証実験や、東大と理研で時間の進み方の違い=高低差を測る実験も行われました。将来は光格子時計で測地ができるなど、相対論的な時空間を迅速かつ精密に測るツールになると考えられており、地下資源の探索や地殻変動の探知への応用も期待されています。そのため、持ち運びが容易なように光格子時計を小型化しネットワークでつなぐことが、社会実装に向けた次の研究課題となっています。
長くセシウム原子時計を標準としてきた秒の定義も、ほどなく光格子時計で書き換えられることでしょう。さらに、違う原子を使った光格子時計の示す時間を長時間比較していくと、微細構造定数という物理定数の普遍性を検証することにつながると言われており、物理学の根幹にも寄与することになりそうです。